山田正流(せいりゅう)です。
なんでそんなに寄り道ばかりなの?
ヤマダは美術大学を卒業しているので
「絵が得意なんですか?」
と良く聞かれたりします。
いえ、まったく絵は描けないんです。
「えっ?絵を描けなくても美術大学って入れるの?」
入れるんですよ、それが。
ヤマダが受験をするときは多摩美術大学と東京造形大学に実技試験のない専攻がありました。
小論文や学力試験をクリアすれば入学できるのです。
当時ヤマダは一浪中で、一浪中のくせにロクに勉強もせずに横浜そごうの受付嬢に夢中になっていたら
あっと言う間に夏が終わってしまい、二浪確実の大ピンチにおちいっていました。
もはや一般大学に合格するのは困難と踏んだヤマダは何を思ったのか突然、美術大学に入学する方向へと舵を切ります。
4ヶ月の学力試験対策と小論文の書き込みと添削の繰り返しの末
ヤマダは奇跡的に東京造形大学に合格します。
実は
ヤマダは美術大学に入りたかったわけじゃないんです。
どうしても4年間社会へ出るのを先延ばしにしたかった甘ったれのヤマダは、なにがなんでも大学生になる必要がありました。
そこで実技試験がなく学科試験の科目数の少ない美術大学に一縷の希望を託したのです。
小学生のときにテレビの金曜ロードショーで
「極道の妻(おんな)たち」
という映画を観たときの衝撃は今でも忘れられません。
まぁ、当然いちばんの衝撃はかたせ梨乃の濡れ場だったわけですが
梨乃の濡れ場と同じくらいにヤマダ少年の記憶に爪あとを残したのが
「極道を愛したんじゃない。愛した男が極道だった」
という映画のキャッチコピーでした。
つまり「極道の妻(おんな)たち」風に言うと
「美術大学に入りたかったんじゃない。入れた大学が美術大学だった」
ということになるんですね(ならねーよ)。
合格者掲示板にヤマダの受験番号を見つけたとき
19歳のココロに去来したのは
大学生になれた喜びでも
毎週毎週400字詰めの原稿用紙に小論文を書き連ねる辛い作業から解放された嬉しさでもなく
かたせ梨乃の顔でした。
それではセックスシンボルと言えばマドンナでもカイリー・ミノーグでもなくかたせ梨乃なヤマダが月曜日もお待ちしてまーす!
梨乃げんきかなー。
このブログをみて「ちょっとヤマダのやつに会いに行ってみようかなー」と思ってくれたあなたはコレを読んでみてね!